俳優や映画監督、脚本家として活躍し、ユニークな演技や発言が魅力の佐藤二朗さん。
佐藤二朗さんのtwitterはとても面白く、フォロワーは200万人超の人気者です。
そんな佐藤さんは若い頃や幼少期はどんな生い立ちやエピソードがあったのでしょうか?
こちらの記事では佐藤二朗さんの幼少期・学生時代・若い頃を画像と共に振り返っていきたいと思います。
- 【画像】佐藤二朗は若い頃(幼少期)と生い立ち
- 佐藤二朗の面白いエピソードや出演作
というテーマでお伝えします。
【画像】佐藤二朗の若い頃(幼少期)と生い立ち
佐藤二朗さんは1969年5月7日生まれで、2023年6月現在で54歳。
愛知県春日井市で2人兄弟の次男として誕生し、愛知県東郷町で育ちます。
若い頃(幼少期)から画像で振り返ってみましょう。
- 東郷町立高嶺小学校卒業
- 東郷町立東郷中学校卒業
- 愛知県立東郷高校卒業
- 信州大学経済学部卒業

小学生時代は、通知表に「毎回落ち着きがない」と書かれていました。
小学生の時の学芸会で主役に抜擢され、その演技が大爆笑で大うけをします。
これがきっかけで「役者になりたい夢」ができ、子供のころから役者を目指すように。

学校の勉強は、常に優秀で、成績もオール5を取ったこともあったとのことです。
また、中学時代にNHK名古屋児童劇団に所属。
14歳の時に映画『アイコ十六歳』にエキストラ出演しました。

学生時代は、浅間温泉でアルバイトをしていました。
卒業後は役者になりたいと思うようになりますが、役者だけで食べていくのは難しいと考え、就活。
平日は営業職、土日に芝居をやろうと、営業職を志望します。
25社連続不採用になりますが、最後には、大手の『リクルート』に入社。
しかし、入社式の日に、体育会系の雰囲気に違和感を覚え、一日で退社し、地元に帰省します。

その後、劇団付属の文学座俳優養成所に入所しますが、1年後の入団試験に不合格。
さらに別の劇団に入団しますが、1年で退団します。
ちなみに大泉洋さんの妻でフジテレビのドラマプロデューサーの中島久美子さんは大学の同級生です。

26歳の時に『ガメラ・大怪獣空中決戦』でパイロット役としてスクリーンデビューしますが、
「俳優への適正がない」と感じ、26歳の頃に小さな広告代理店に再就職。
1日に16時間勤務しながら、営業部で部署トップの成績を残します。
しかし、俳優への思いが断ち切れず、1996年の27歳の頃、かつての劇団の知り合いに声をかけて演劇ユニット「ちからわざ」を旗揚げ。
全公演で脚本執筆と出演を担当し、土日は舞台の稽古に明け暮れるという日々に。
会社勤務と同時進行で俳優活動を再スタートします。
28~29歳の頃、鈴木裕美さんに誘われて、劇団「自転車キンクリート」に入団し、広告代理店を退社。
その後は俳優としての道を歩みます。
佐藤二朗の面白いエピソードと役柄
佐藤二朗さんの幼少期の面白いエピソードをご紹介します。
また、佐藤二朗さんと言えば「これが面白い!」という作品の一部もご紹介します。
小学生時代のあだ名はライディーン

小学生時代は、あごが出ていたことから、あだ名は「ライディーン」でした。
中学生時代のあだ名はボーリングのピンでした。

中学生時代のあだ名は立ち姿が似ているということで「ボーリングのピン」でした。
2002年 映画ピンポン スタッフ役 (33歳の頃)

2009年 JIN-仁- 福田玄孝役 (40歳の頃)

『JIN -仁-』の時の剃髪姿は特殊メークで1時間かかるのに対し、『勇者ヨシヒコ』の仏役の螺髪風カツラの装着時間は、低予算で単に被るだけだったため、わずか7秒。
この格差について、『勇者ヨシヒコ』の記者会見では「この枠のダイナミズムを感じた」と語りました。
佐藤二朗さんの「面白い」と話題の出演作
佐藤二朗さんが演じる役はほとんどが面白いのですが、中でも代表的な作品を紹介します。
2011年~(42歳~) 勇者ヨシヒコの仏役
2013年(44歳) HK変態仮面の真面目仮面役
2017年(48歳) スーパーサラリーマン佐江内氏の米倉/キャプテンマン役
まとめ
【画像】佐藤二朗の若い頃や幼少期!面白いエピソードや生い立ちまとめ
というテーマでお伝えしました。
佐藤二朗さんは存在そのものが面白い俳優さんで、ファンがとても多い方です。
幼少期から振り返ってみましたが、いかがでしたでしょうか。
若い頃からずっと面白い方でしたね。



