岡藤輝光の2023年現在や家族構成は?富士銀行行員の犯行動機はなぜ? 

岡藤輝光の2023現在!富士銀行行員はなぜ事件を起こしたのか?
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1998年7月2日に富士銀行の行員が顧客の命を奪うという事件が発生。

当時、現役の銀行員が起こした事件として大きく話題となり、注目されました。

犯人は岡藤輝光・当時31歳の行員でした。

岡藤輝光は2023年現在どうしているのでしょうか?

また、なぜ銀行員がこのような事件を起こしてしまったのでしょうか。

こちらの記事では

  • 岡藤輝光の2023現在
  • 岡藤輝光の家族構成
  • 判決内容
  • 岡藤はなぜ事件を起こしたのか? 
  • 岡藤輝光のプロフィール
  • 当時の報道

について、まとめてみました。

目次

【2023年現在】岡藤輝光はどうしている?

無期懲役の判決を受けた、岡藤輝光は、2023年現在も服役中です。

無期懲役は出所できるのか?について、調べてみますと、2005年以降は、30年経過後に仮釈放審理が行われるとのこと。

2000年に判決が下りていますので、これにあてはめますと、2030年頃までは入所していることでしょう。

そして、無期懲役で仮釈放がされること自体は稀で、無期懲役囚に対し、年間で10人に至らず、割合では0.3%程度とのことです。

岡藤輝光の家族構成・妻や子供はいた?

岡崎輝光は1998年7月の事件当時、結婚していました。

1996年2月に、学生時代から交際していた3歳下の恋人と結婚。

1996年12月に長男が誕生。

1998年11月には、次男が誕生しています。

2023年現在、岡藤は56歳。結婚していた妻は53歳。 長男は26歳、次男は24歳。

家族思いの優しい父親だったという情報もありました。

しかし、事件後すぐに離婚をしたのではないかという情報があります。

家族は苦しい思いをしたことと思います。    

 

岡藤輝光に下った判決は無期懲役

岡藤輝光はどのような判決を受けたのでしょうか?

上告を行わなかったため、2000年12月に無期懲役が確定

公判では「残虐非道な犯行」「動機に情状酌量の余地は全くない」と裁判長は岡藤を厳しく非難。

一方で

  • 「名刺の強手や債務を免れる意図はそれほど利欲性の高いものではない」
  • 「一攫千金を狙った強盗事件の事案と本件は同列に論じることは相当でない」
  • 「犯行は計画ではありながら、周到ではなく、ためらいも感じていた」
  • 「反省の念が深く、前科前歴がない」

などとして、無期懲役を言い渡しました。

富士銀行から被害者の親族に多額の賠償金が支払われたことも、無期懲役になった理由と言われています。

富士銀行は岡藤の起訴を受けて、

橋本徹会長、山本惠朗頭取ら全代表取締役16名の減俸3ヶ月。

支店管掌副頭取の専務への降格、勤務当時の支店長の降格処分を発表しました。

富士銀行行員はなぜ事件を起こしたのか?

ザ!世界仰天ニュース

2023年6月13日の「ザ!世界仰天ニュース」の「エリートが犯人になった謎スペシャル」で取り上げられた事件についてまとめていきます。

1998年7月2日に埼玉県南埼玉郡宮代町で当時の富士銀行の行員が起こした事件

事件が起きる10年前の1988年、老夫婦は東京都の土地を売却し、埼玉県埼玉郡宮代町へ移住していた。

宮代町に移住した老夫婦は、バブル景気の当時、土地の売却益1億円のうち、4,000万円と定期預金を老後資金として埼玉県春日部市にあった富士銀行に貯金していた。

話し相手になったのが、富士銀行の担当行員Aさんで、とても親切でよい関係だった。

1996年4月、富士銀行春日部支店に岡藤輝光が赴任し、行員Aから引き継ぎ、1996年8月から老夫婦の担当となる。

①そんな中、ある建設関連会社から2000万円の融資を求められた岡藤は、融資基準を満たしていない顧客と貸し渋りをする銀行の間で板挟みに。

成績も芳しくなく、融資を断れなかった岡藤によからぬ考えが浮かぶ。

老夫婦の家を訪ね、投資信託を紹介。営業目標に1000万円が足りないので助けてほしいと懇願し、1000万円を引き出した。この1000万円を建設関連会社に浮き貸し。約3か月後、無事返済され、老夫婦にもお金を戻し、ことなきを得た。

②しかし、1997年6月、前回の建設関連会社の社長から再度3000万円の融資を希望される。

そして再び老夫婦の元へ行き、2000万円の運用を紹介し、今度も任せてもらえることに。

岡藤は、建設関連会社社長に「3000万円は無理でしたが、2000万円の融資を実行した」と連絡。

2度目の浮き貸し2000万円を行い、今回は半年後に分割2回で2000万円が返済されることになった。

③そんな頃、ある運送会社から1700万円の融資依頼を受ける。銀行の支店長からは「信用保証協会に確認して」と指示を受ける。しかし岡藤は信用保証協会の申請を後回しにしてしまった。

④そんなとき、①②の建設関連会社社長から追加で1000万円の融資をお願いされる。これを断ったら、銀行に駆け込むかもしれないと焦る岡藤。

またも老夫婦の元へ行き追加で1000万円の運用を依頼。3回目の浮き貸し1000万円を実行。この時点で不正融資額は3000万円になっていた。

事件の7か月前、③の運送会社から「そろそろ土地の購入手続きするから融資の件は大丈夫ですか?」と連絡が入る。岡藤は大切な申請を忘れていた。しかし正直に言えず「大丈夫です」と返事。

今から申請していては間に合わないと焦った岡藤は、②から返金があった1000万円を老夫婦に返金しに行きつつ「この1000万円をもう一度運用していただき追加で700万円の運用もお願いできませんか?」と老夫婦に依頼。この老夫婦から1700万円を引き出し、③の融資に充てようと考えたのだ。

1998年2月、運送会社に老夫婦のお金1700万円を4回目の浮き貸し

これで計4回、合計5700万円、夫婦のお金を使っての浮き貸しとなった。

この1700万円は③の信用保証付きの正規の融資で老夫婦に返金しようと思っていたが、上司にミスを正直に伝えられず、融資の必要はなくなったとすでに伝えたので、その方法は不可能になっていた。

その後、建設関連会社社長から②の残金1000万円が返済され、老夫婦に返金。残りは2700万円となっていた。

残りの2700万円は約束では1998年3月末に老夫婦に戻すというものだった

しかし、④の1000万円について建設関連会社社長に3月末への返済の確認に向かうと、社長は長期の分割返済のつもりだった。(社長は正規の融資だと思っていたし、岡藤は長期と伝えていた)

岡藤は夫婦に頼み込み、1998年4月末まで待ってもらえることになった。とはいえ、その期日に2700万円を返せる見込みは全くなかった。

岡藤は④の融資のうち、社長に必死に頼み込み、200万円をなんとか用意してもらい、返済日の4月末、老夫婦に200万円を返済し、残りの2500万円については引き続き運用してもらえるよう依頼。

老夫婦は「これが最後ですよ、(2500万円は)6月末まで運用します」と返答した

返済日の6月末、さらに2日間だけ返済を待ってもらった。

しかし、返済するあてはない。岡藤は今度こそ夫婦が銀行に問い合わせるかもしれない、そうすれば今までの不正融資がすべて発覚する」と焦る。

夫婦に返すあてもない(③④の浮き貸しを6月末までに回収することは不可能だった)

約束した返済期日の前日の1998年7月1日、なんと富士銀行から本店融資部への栄転の内示を受ける

岡藤は異動によって「浮き貸し」が発覚することを恐れて、1998年7月2日、被害者の自宅で、犯行におよび、夫婦は亡くなった。

証拠隠滅のため、ガス栓を開けて放火しようとしたが、安全装置が働き失敗。

強盗の犯行に見せかけるため財布から1万円を抜き、室内を荒らしていった。返済期日を書いた書類など証拠隠滅もしている。

出典 ザ!世界仰天ニュースとWikipedia
浮き貸しとは?

浮き貸しとは、銀行の顧客が預けているお金を銀行を通さずそのまま業者に貸し付ける方法。

銀行側にも顧客にも了解を取らず、出資法にも違反している不正行為。

銀行と顧客に内緒で、融資先には「銀行からの融資」と嘘をついてお金を融資すること。

なぜ、岡藤は浮き貸しまでして融資しようとしたのか?

なぜ、不正行為である「浮き貸し」を岡藤がしたのかというと、「融資金額の一部から、岡藤が手数料としてお金を受け取ることができたためだった」とも言われています。

しかし、実際は、融資を断り切れない性格や、正規の融資においても、自分のミスを正直に報告できなかったことが絡み合い、最悪の事態を招いたものだったことがわかります。

事件の発覚は1998年7月4日の午前9時。発見したのは、岡藤の前任の富士銀行の行員Aでした。

岡藤が捜査線上に浮上し自供。逮捕されました。

捜査では、最初から強盗ではないと推理されていたようです。

岡藤輝光のプロフィールと経歴

プロフィール

  • 名前   岡藤輝光(おかふじ てるみつ)
  • 生年月日 1966年7月17日(2023年6月現在56歳)
  • 出身地  福岡県福岡市
  • 学歴   福岡県立筑紫高校・福岡大学体育学部 卒業

3人兄弟の長男で、周囲の友人からも真面目で優しい性格と評判だったようです。

高校時代は筑紫高校でラグビー部に在籍。

優秀な成績を収め、福岡大学に体育推薦で入学しました。

岡藤が入学した私立大学から一流企業への入社は、それまでは難しいとされていました。

しかし当時はバブル景気ということもあり、人手不足のため、私立大学からも採用を始め、1989年に富士銀行(現みずほ銀行)に就職できました。

 

経歴                                           

大学卒業後、バブル組として富士銀行入社当時は東京都竹塚支店に勤務。

銀行窓口業務に従事した後、融資担当に配属。

その後、福岡の門司支店、北九州支店に配属。

1996年4月より春日部支店に勤務となりました。

当時の報道と事件を起こしたきっかけ

当時の報道は

「バブル入行組だからこのような事件を起こした」

「父親も運送業者の社員だったから同情して浮き貸しをした」

などと、岡藤がどうしてこのような犯罪を犯したかについて、岡藤の背景と結び付けて報道されていたこともあったようです。

当時、大手の都市銀行や証券会社では、学歴の高い一流大学からしか新卒入社を受け入れていませんでした。

ですが、バブル全盛期だった1989年頃から数年間は人手が欲しかったため、私立大学からの採用も始めました。

ラグビーで鍛えた岡藤は、富士銀行にスポーツ枠で入行。

しかし、岡藤が事件を起こしたため、富士銀行は福岡大からのスポーツ枠の採用を廃止したと言われています。

エリートと言われる岡藤でしたが、実際は俗にいう一流大学のエリートではなかったことがわかります。

また、父親は中卒で大型トレーラーの運転手でした。

岡藤が浮き貸しを行った会社も運送業だったため、この点も結び付けられて、報道されていたという話もありました。

浮き貸しをしても、問題なく返済されれば、全ては順調にうまくいくと考えていた岡藤でしたが、自分のミスも含めて想定していない事態も発生し、最初についた嘘に嘘を塗り重ねていきます。

そして最後には、自分の嘘がバレることを恐れて、取り返しのつかないことを起こしてしまうという最悪な事態となりました。

事件を起こしたきっかけは「嘘」と「返せるあてのない返済を先延ばしにする苦しみから逃れたい」という衝動でした。

岡藤はこのように語っています。

「大学に進みスポーツもできる自分は親ときょうだいの誇り。裏切りたくなかった」

「不正が発覚すれば、自分だけでなく家族も世間から白い目で見られる」

「再就職もままならず路頭に迷うことになる」

犯行に及んだのは、このような考え方が背景にあり、不正の発覚を逃れるためだったとのことです。

まとめ

岡藤輝光の2023年現在や家族構成は?富士銀行行員の犯行動機はなぜ?

というテーマでまとめました。

融資の部署では融資の契約が成績になるということですが、「浮き貸し」という成績にもならない不正な行為をした根底には、プライドの高さや、ミスを隠す性格が災いしているように感じました。

自分ならうまくできるという安易な考えだったのではと想像してしまいますね。

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