2018年4月8日、愛媛県今治市の刑務所から脱獄した平尾龍磨受刑者(当時27歳)
模範囚で半年後には仮釈放で自由の身になれたのに脱獄したのはなぜだったのでしょうか?
また海を渡ることはどれくらい困難だったのでしょうか?
脱獄したのは、刑務所のスパルタ的ないじめがあったという話も気になります。
こちらの記事では
- 平尾龍磨が海を泳いで逃げるのは難しかったのか?
- 平尾龍磨が逃亡した原因はスパルタ刑務所のいじめ?
というテーマでお伝えします。
平尾龍磨が海を泳いで脱獄!尾道水道は潮の流れが速く危険?

刑務所の窓から脱獄後、16日間は空き家へ潜伏
2018年4月8日、愛媛県今治市の刑務所で平尾龍磨受刑者は、置き手紙を残し、窓から脱獄しました。
その後、自転車を盗み、民家から金と車も盗み逃走。
刑務所から45キロ離れた瀬戸内海の向島で、空き家の屋根裏へ身を隠しました。
この家は年に数回だけ訪れる県外の女性が「別荘」として購入使用していて、電気・水道は通っていました。
また保存用の食料としてカップめんやそうめん、冷蔵庫にはパンが入っていました。
屋根裏にはトースターとテレビが持ち込まれていたことから、少しの間ですが、快適な生活をしていたようです。
海を泳いで渡るのは可能?尾道水道は潮の流れが速くて危険?
4月24日に別荘を脱出。海へ向かいます。あえて雨降りの日を選んだとのことです。理由は
「全身がずぶ濡れになっても怪しまれないから」でした。
雨が降りしきる暗闇の中、金と衣類を入れたポリ袋をテープで体に縛り付け、泳ぎ切るのは怖かったと供述しています。
本人は「1時間ほどかかった。死ぬかと思った」と語っています。
ただし、対岸にはいたるところにハシゴや階段があり、距離は約200m。
泳げない距離ではないが、水温は14度。
かなり冷たいが、つかまるよりはマシだと意を決して飛び込んだと言います。
地元の男性によりますと
「自分も泳いだことがありますが、潮止まりの時であれば泳いで本州側に渡ることは難しくない・・・」
というコメントもありました。
ただし、尾道水道は潮の流れが速く、泳ぐのは危険という意見も。
「地元の漁師の間でも、潮の流れが速いと有名な場所です。私も昔から泳ぐのは危ないと教えられてきました。平尾容疑者が泳いで本州に渡ったと聞き、かなり驚いています」
と尾道水道沿いにある旅館の担当者のコメントもありました。
平尾龍磨が逃亡した理由はスパルタ刑務所のいじめと自治会?
平尾龍磨受刑者はあと半年で仮出所の可能性もありましたが、あることが原因で我慢できず、脱獄を決意したと語っています。
平尾龍磨が逃亡した理由は「スパルタ刑務所のいじめと自治会」
22日間、無人の別荘に潜伏、水温15度の海を泳いで渡るというサバイバル生活に耐えられる精神力を持っている平尾が耐えられなかったもの。
それは、平尾が勤務していた「大井造船作業場」のいじめと自治会制度でした。
平尾受刑者は、逃亡中もテレビを見ていました。
刑務所側の所長が会見で
「大井造船作業場は大きなトラブルなどはなかったと聞いております」
これを見て、平尾は「なぜ自治会のことを言わないのか」と思っていたといいます。
大井造船作業場は受刑者だけで構成されている自治会があった
刑務官に指名された自治会長、副会長、自治委員の計11人が月間目標や館内の催しものなどを決めていました。
そして、刑務所は、他の受刑者への指導の権限も与えていました。
しかし、そのやり方に問題がありました。
些細なことでも、ペナルティーとして体罰は当たり前で、指導は過激。
一方で、来客用のコーヒーを飲むなどの規律違反もしていました。
自分も自治委員になりたいと平尾は考え、真面目に働き、その後、念願の自治委員になります。
自治委員になったのも束の間、規律違反で地位を奪われ、つらい仕打ち
自治委員になった平尾は仮釈放が近いことも重なり、浮かれていました。
ある日、社員だけが着用を許されている白いヘルメットをかぶってイタズラをします。
それが刑務官にバレたことから、自治委員からおろされることに。
自治会長は激怒し、全員の前で叱責されました。
仮釈放まであと半年でしたが、平尾は我慢できませんでした。
他の委員も規律違反をしているのに、なぜ自分だけ?
そして、委員解任からわずか3日後、置手紙を遺して、平尾は脱獄をしたのです。
平尾龍磨は22日後、JR広島駅付近の路上で逮捕されました。
2018年9月に懲役4年の判決が言い渡されます。
2023年現在、すでに平尾は出所しているのでは?と言われています。
しかし、現在どのような暮らしをしているのかはわかっていません。
まとめ
平尾龍磨が海を泳いで逃げた理由はなぜ?スパルタ刑務所のいじめと自治会が原因?
というテーマでお伝えしました。
残り半年が我慢できず、22日の逃走後、4年の懲役を言い渡された平尾龍磨受刑者。
それほどまでに自治会のいじめやスパルタが厳しかったのでしょう。
平尾の脱獄事件後の大井造船作業場では、自治会制度を廃止しています。


